㈱室田工業★塗替えマスターズ★blog:リアルに被災した体験談
2022/09/23
塗替えマスターズで事務を担当しているシバサキです。
事務仕事の中にblogの更新も含まれているのですが、既にblogネタに困っております(;^_^A
そこで、本日は「台風シーズン」にちなみまして「大規模災害」について個人的な体験をネタとさせて頂きます。
先週から今週にかけて大型台風がやってきましたが、他県も含めて人的・家屋崩壊等の災害がおこりました。
大きい被害があった地域でテレビ取材されていた画面でよく耳にするのが「今まで生きてきてこんな被害はなかった」と話をされている言葉です。
中には「ワタシャ90年近く生きとりますが、初めてです」と話をされる年配の方もおられますよね。
けど・・・
わたしゃ(シバサキは)57年生きてきましたが、県北の実家で2回・呉市で1回(地震は除く)・安芸郡で1回。
合計4回、わりと大きな災害にあっています。
今回は県北の実家での被災体験です。
これは、私が小学低学年の時。
昭和40年代に大きな台風が来たことがありました。
私の実家は「志路原川」と「冠川」が合流してすぐの「江の川」へ流れていく川のすぐ近くに建っています。
稲作をしている家なので、父と母は水田の水を気にしてか、しょっちゅう家の中から外を見ておりました。
それが幸いして、母がただならぬ水田の様子を発見しました。
水田といえども、大雨でみずが濁ることはないのに茶色に変わっている。
母「おかしいよ!」
父も、私たち兄姉も外の変化を見ていると、泥水が右から左へと流れています。
父「川から、大水が出たんじゃないか!?」
私もずーっと観察して、水田からあふれた泥水は自宅の敷地を流れて10㎝の深さかな?と思っていたが。
みるみるうちに、大人のひざ下の深さまでになっていました。
それでも、まだドンドン深くなっていくのがわかりました。
家の中では父と母と兄が、畳をあげていました。
家の中の机(しかも高さがある)を部屋の中央部に置いて、畳を机の上に重ねて載せていたんです。
それは、床上浸水になると畳が濡れてしまうからだったんですね。
4部屋の畳部屋の畳をどうにか載せ終えたら「多分、床上までくるどー!!!」と、父が言い。
幸いにも離れにも建物があり、渡り廊下伝いで行けばそっちのほうが床が高いから、家族でそっちに移動しました。
幸運にも、離れのほうは10~15cm床が高かったのでしょう。
ぎりぎりの水位で、そこから水位は上がりませんでした。
停電もしていたはずだけど、その先は記憶に残っていません(まだ小さかったから寝ちゃった?)
翌日、学校に行けるはずもなく。
水が引いた後から、近所の人・地域の人が来てくださっていて
「小学校の校舎が流されたそうなよ」
「〇下牧場の牛も流されたんだげな」
「〇〇〇さんとこの豚小屋の豚も流されとるんじゃろうね」
等と、次々と被害の情報が入ってきました。
小学校の校舎が流された私の母校の近くは、志路原川と冠川が合流しその合流した川が、江の川にぶつかる位置だったのでかなりの被害がおきたのでしょう。
これは、大人になって考えると理解ができますが…
当時小学生だった私から考えると「なんで小学校の校舎が流される?ボロい学校じゃ!!」
とか…。思っていました( TДT)ゴメンヨー
今思えば、当時に今風の言葉を加えるなら「過去に例がないほどの災害規模」だったのでしょうね。
今、私がお伝えしたいのは。
家の外を見て、泥水が水深10㎝でも流れていたらもう外に出ないでください。
自動車が水没しそうだと思っても、身を守るために移動させずに🚙あきらめてください(私が安芸郡坂町で被災したときの体験談をまた書きます)
「垂直避難」という言葉を使われますが、家の中の高い場所へ移動することを考えてください。
1階建てであれば、山や崖から離れている押し入れの中とか。
押入れがあれば、天井を抜けて屋根裏に出られそうなところを探してみてください。
外壁塗装とは関係ありませんでしたが
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
次回は…
◆床上浸水した母屋
◆床下浸水した離れ
◆豪流で崩壊し流された学校校舎
👆
の、その後について書かせていただきます。